なぜ私を産んだのか?

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全く聞き分けのない問題児のと、狂暴に姉にヒステリーや体罰を与えるの姿を、乳児の時から毎日目の当たりにしていた幼い私の中に「自分はこうなってはいけない」「母を怒らせてはいけない」「従順で良い子にならなければいけない」「姉は悪だから母は叩く」「姉は悪」「姉は下等な人間」という歪んだ行動原理と思考のベースが出来上がってしまったのは必然でしかない。

そのせいで、おそらく本音や自分の感情を抑圧して生きることになってしまった。
幸せを感じる努力は人一倍してきたが、本当は辛く寂しく愛のない人生だったと思う。
何が間違いだったのだろう。

母の問題

では母はどうすればよかったのか?
もし母にこの話をしたとしておそらく「そやかて仕方ないやろ!ほんならどうしたらよかったん?!」(口癖)というに違いない。
『いうことを聞かない悪い娘(姉)をどうしつければよかったのか?』
『目の前に幼児がいたとしても、叱るのはしかたないでしょ?』
教育に無関心だった父の協力を得ることができず、母も苦悩していたに違いない。

そしてこれまではそうやって母が私にぶつける言い訳や「知っているなら正解をいってみろ」という強迫を真に受け取り、私なりに、自分の心を痛めつけてでも必死で考えて答えていた。
本当はそれを私のために母親自身に考えてほしかったんだけどな。
だが自分の非を認めない母親が素直に耳を傾けることなどない。

今思えば、それは母と姉の問題で、「母がどうすればよかったか」までわたしが考える必要も余裕もなかった。
ただ私がその生い立ちによって深刻な被害を受けたという事は事実。

私の問題に変えてみる

では視点を変えて、「私は母にどうして欲しかったのか?」
カウンセリングや、ACアカウントで始めたSNSの効果で、こんな技を覚えました。
主語を自分にする。

これは先ほども書いたとおり、「私への影響を母親自身に考えてほしかった」がある。
まあこれを伝えたとしたら「そんなん専門家ちゃうのに知らんやん」と言い訳されるだけでしょうが、自分の深いところの声を聴くためなのでOK。

その他には、母の性格や姉との問題は私がどうなってほしいかと望む事ではないし、もし例えば当時の母に理想を告げる事が出来たとして、状況が変わることなど絶対にありえない。

そして色々と考えて行き着いた答えは、
「産んでほしくなかった」。
これしかない。
この言葉もおそらく今まで抑圧してきた気持ちだ。
自分の生への否定をしてはいけないという倫理観が強く、素直に感じたり考えたりすることもできなかった。

でも生への否定ではないことが分かった。
「生まれてこなければよかった」ではなく、「母があの時自分を産んだこと」への否定なのだ。

母の本音

母には私を産んでほしくなかった。母に私を産む資格はない。
愛する気がないのなら、育てる喜びを感じないのなら、かわいがる気がないのなら、笑顔を守る覚悟がないのなら、なぜ産んだの?

実は私は答えを知っている。
母が昔、本音を語っていたから。
母は自分の将来の面倒を見させる人間として私を産んだのだ。

あんたはほんとは産むつもりやなかってん。子供なんて作る歳じゃないのにうっかり妊娠してしまって、〇〇先生(かかりつけの女医)に中絶してもらいにいったんや、そしたらえらい怒られてん」

私はてっきり、命の尊さについて、大切にしなさいと叱られたのかと思ったが、違っていた・・

『将来どの子に世話になるかわからんのやで!一人でもようけ(たくさん)産んどきなさい!!』
と言われたそうです。
当時の時点でかなり高齢の女医さんで、戦争中の「子供は労働力」感覚が染みついてたのか?
そんな親目線の身勝手な理由でとにかく「産め!」ときつく怒られて、母は仕方なく産んだとのこと。

そこで母が私に嬉しそうに放った言葉。
「ほんっっまに産んどいてよかったわぁ~~~。お姉ちゃんはあんなんで全然あかんし、お兄ちゃんもあんなん(障害者)なってもうたし。あんただけはしっかり頼んまっせ」

そう言われたときの私の感情がどんなだったのか、不思議なほど記憶にない。
が、母のこの言葉を鮮明に覚えている事を鑑みると、あまりの衝撃に感情に蓋をしてしまったのかな?
この時の気持ちを思い出したいんだけど、まだどうしてもできない。

育てる喜びを感じない

私が幼稚園~小学校2年生くらいまでは、たぶん午後2時とか3時に帰宅していた。
日当たりのない暗い居間で電気もつけず、夕方の買い物の時間までごろ寝してワイドショーを見る母親が毎日いた。
その光景がとてもネガティブな光景として焼き付いている。思い出すと辛く不気味。
友達のお家ともお母さんとも明らかに違う。私は愛されていない。

私は小学校から高校までエスカレーター式の中堅のお嬢さん学校に通わされた。
周りも、自分でも、末っ子で大事にされているんだという認識だったが、それも全く違った。

「上の二人で苦労したからな、もう何にもしたくなかってん。受験もしつけももうしんどいねん。お嬢さん学校やったらしつけもしてくれるし、ほっといても高校まで出してくれる。女の子やから高校まで出たら十分やしな。」

とのこと。
医者に言われて産んだだけで、ほんとに自分の手で子供を育てるのが嫌だったんだなと。
ご飯やお弁当、洗濯などは最低限してくれたけど、それが母の免罪符になっていたのかと。
父や母に一緒にオモチャや外で遊んでもらった記憶はないが、父はまじめに家族の経済面を支え、母は最低限の家事はしているからネグレクトではないと。(当時はそんな言葉は一般人は知らないけど)

そしてこれから

だけど、子育てを苦痛に思っている様子は子供に伝わるんだろう。
結局父も母も私なんて眼中にない、愛したり育てたりすることが面倒で彼らの足手まといの自分がいた。そしてその自分と今の自分も同じ。生まれ変わったりなんてしていない。
私は邪魔な存在として生まれた子。そういうこと。

産んでほしくなかった。
さてこの中学生みたいな気持ち、既に50年以上生きてしまったおばさんはこれからどうしたらいいのでしょう。

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