父の看取り(1)

機能不全家族
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家族に看取られるはずのが、病室で一人で死んだ。
父は不幸なのか、だれが悪いのか、自分はどこで間違えたのか、仕方がない事なのか、何も悪くないのか・・?
私が必要以上に悲観的にとらえているのでは?という可能性に逃げながら、思い出したくない記憶としてずっとしこりになっていたこと。
2回にわけて整理します。

長年の闘病

父はある病気で70代から何度も手術を受けていた。
がその病気や、その分野に強い病院などを色々と調べてくれ、父とと兄3人で治療方針を決めていた。
私はすべて事後報告。結婚して隣町にいたしもちろんかまわない、兄には両親をまかせきりで感謝しかない。

最初のころは手術を終えても元気に回復していた父だが、年とともに手術を重ねるごとに心身が目に見えて弱っていった。
手術や入院を嫌がるようになり、悩ましくかわいそうだったが、家族で説得して勇気づけて頑張ってもらっていた。

最後の入院時には体はかなり弱り、加えて認知症が少し出始め、せん妄などの幻覚なども始まり、母親はほぼ毎日病室に通っていた。
母が用事の日には私が交代したが、一日中病室にこもるのは元気な人間でも本当に疲れる。
高齢な母は大変だったろう、本当に偉いなと思った。
しかしたびたび病室で、あまり見たくない二人の光景を見る事があった。

ある光景

食事がのどを通りづらい、食欲がない、お箸がしっかり持てない、こぼしたり落としたり、認知症気味でぼんやりする、高齢者らしいいろいろな理由で食事がなかなか進まない父。
「これおいしそうだね。 つぎコレ食べてみたら? これ一口貰っていい?あ、おいしいよ! これはスプーンのほうが食べやすそうだね、塩昆布(好物)でごはんもう一口だけたべようか」こんな感じで横で応援する。私は。

母は違った。ベッドに腰かけてぼんやりヨロヨロと食事をする弱った老人そのものの父の目の前に仁王立ちし、腰に両手をあてて、
「早よこれ食べんか! もう何してんの! はい次コレ! こっちもほら! ご飯もちゃんとたべや! も~こぼしてるやんか! はいお茶飲んで!」
下を向いてモゴモゴ食べる父の頭上から、ドス声で食器を指差し命令し叱責する。
無感情だった父の表情がゆがむ。

辛い。見たくない光景。思い出したくない光景。
ご飯の時以外でも、トイレ、歯磨き、父が何かうまくできなかったり忘れたりする度に母はドス声で注意した。
父は顔を歪めたり、ぼんやりしたままだったり。
怖い。辛い。
私の頭に『虐待』という2文字が浮かぶ、慌てて消す。

私がいる前でこの状態だとしたら、二人きりの時ってどんなだろう。
母が攻撃的な声色と物言いなのはもともとなのだが、やはり弱っている高齢の父に対してのそれは見ていて耐えがたいものだった。

母のいじめ

母は見舞い、付き添い、洗濯物や身の回りの世話などの『行為』はきちんとするのだが、『人』に対する気遣い、優しさ、丁寧さ、大切にする気持ちがゴッソリ抜けている。
子育てでもそうだった。『やっている』という形だけ、そんな感じ。
だから私はこんな人間になった。

父がまだ自宅にいた頃、家族での外出前に母親が父に「お父さんオムツ!」と怒っている事があった。「ときどき下の調子が悪くなるから外出時は念のためにオムツを一つ持たせてるのだが、何度言っても自分でカバンに入れてくれない」と私に愚痴った。
もともとカバンをあまり持ち歩かない男性、粗相をしてしまうオムツを自分で準備してカバンに入れ持ち歩く気持ち、屈辱感、母にはわからないのだろうか?
私が「男が自分のオムツなんて持って出かけるの嫌なんやろ、お母さんのカバンに入れたらいいやん」と返すと歪んだ笑顔のような訳のわからない表情をして黙った。
その不気味な笑顔。母はわかっていたのだ父の気持ちを。そりゃわかるだろ。
父を辱めるために、わざと自分でオムツを準備させ、自分で持ち歩かせるといういやがらせ。としかしか思えない。
その時にも母という人間の闇の深さを感じかけたけど、怖くて自分の感覚に蓋をしてしまった。

先にも書いたが、ほぼ毎日病室で付き添い、やるべきことはきちんとしていた母親、母自身も相当な疲れやストレスがあっただろう。
強い口調になるのも責める気持ちにはなれなかったし、自分の母親が弱った夫を虐待をする人間だとは私だって思いたくない。
仕方がない事なんだ、その部分は私がフォローしたら良いのであって、父だけでなく母の慰めや癒しにも努めよう、そしてそれが父へのやさしさとして還元されるよう願った。

2話に続きます。

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