父の看取り(2)

機能不全家族
スポンサーリンク

がいたにも関わらず、なぜか看取られなかった
その時私は何をしていたのか、何を思っていたのか、二人を非難できるのか。
続きです。

事故

父の状態が危なくなってきて母はよく病院に泊まり込むようになっていた。
今の病院って一応完全看護のはずなのに、家族が毎日のように泊まり込んで付き添う必要があるのか?と思ったが、認知症の症状があり夜中に何かあれば危険だからと看護師に言われたとのこと。
高齢の母、私でも無理があるけど大丈夫?体壊すよ?と心配したが。
家族の泊まり込み看護はちょっと酷だ。それって普通なのかな。

不眠症の母は普段から毎日眠剤を飲んでいるのだが、「薬のんでもお父さんがトイレにいったりするから眠れなかった」と愚痴っているのを聞いた。病院で泊まるときも眠剤を飲んでいるのか。。
父が起きたときに介助するために泊まっているのではないの?
自分の生活や健康を犠牲にして一生懸命泊まり込み介護をしているのかと思えば、クスリで爆睡はする。
『やっている』形だけで満足する人なのでそれで安心するのかもしれない。

ある晩、事故がおきる。
歩行が困難になっている父が夜中、暗闇の中一人でトイレに行こうとして転んで尻もちをついた。
認知症高齢者は一人で歩けない事も忘れてしまうことがあり、比較的よく起こってしまう事故らしい。
母親はぐっすり眠っており、父は母を起こすこともナースコールも押さなかった。

危篤

尻もちで腰を痛めた父は骨折などはしていなかったが寝たきりになり、一気に弱ってしまった。
骨と皮になって、意識も反応も薄くなり、余命はわずかであろうという状況になった。

毒姉が急遽1か月の休みを取ってアメリカから帰国した。
それからはみんな可能な限り毎日父の元へ、家族が揃うと病室は賑やかになり、父も調子の良い時には姉の父イジリに「アホか」と酸素マスクの中でツッコミを入れることもあった。
父の容態が思わしくない日でも、姉は予約していた『まつ毛エクステ』に行ったり、病室でも毒のあるつまらないジョークを連発してキャッキャ騒いだりと常にマイペースであった。うんいいよ、アメリカからすっ飛んで帰ってきただけで偉いよ。
しかしやはり母親と同じような『自分本位』『自己満足』の道具に父がされているような気持ちになり、悲しくなる事がよくあった。
父にとっては幸せな時間だっただろうか。

私も最後の1週間は予定をすべてキャンセルし、仕事が終わってから往復2時間かけて毎晩病院へ通った。
ただそのころ私たちの夫婦関係は歪みが生じており、毎晩を置いて外出していることに不安を感じていた。そのせいで100%父親に気持ちを向けられたかというとそうではなかった。病室にいても、父の足をさすっていても、常に夫の機嫌を気にしていたように思う。ごめんねお父さん。
色んな意味で混乱と疲弊の1週間だった。書いていると色んな事思い出すな。
そしてその日、医者よりあと1,2日だろうと告げられた。

はすぐに休みをとり、今後の忙しさを考慮して夜は母を自宅に帰らせて休ませ、自分一人で夜通し寝ずに父を見守った。
早朝、父の容態は安定しているから今日はおそらく大丈夫、と兄から連絡。
朝から交代で母と姉が病院へ、兄は母と姉に付き添いを託して一旦自宅へ仮眠を取りに帰った。
では私は今晩から兄と一緒に夜の見守りに入るよと、数日家を空ける準備や仕事を片付けるために出勤した。

その数時間後だった、連絡が入る。父、危篤、すぐに病院へ。
急いで会社を出て電車に飛び乗り病院へ向かう。
お父さんすぐに行くから待っててよ!!
そして15分後、電車の中で臨終の知らせを受けた。間に合わなかった。

父はなぜ一人で

病院につくと家族みんな病室に集まっていた。
自宅で仮眠していた兄も残念ながら間に合わなかったらしい。でも母と姉がいてよかった。
母と姉に最後の様子を聞く。苦しんだ?何か言った?どんな様子だった?
私はそこで驚きの事実を聞かされる。

そう、父は一人で死んだ。
父が息を引き取った瞬間、病室は空っぽ、誰も父の最期を見ていなかったという。
母は言った「お姉ちゃんと休憩室でコーヒー飲んでちょっとしゃべっとってな、戻ってきたらもうモニター止まっててん」
父の心臓が止まった瞬間、母と姉は休憩室でおしゃべりをしていたらしい。

ということは?仕事中に危篤の連絡が入った時には実際にはもう亡くなってたんだな、そして蘇生処置とかいろいろあって死亡の診断ということか。
「待っててよ!」と祈りながら会社を飛び出した時にはもう父はこの世にいなかった。
どんなに急いでも父の最後を看取る事はできなかったんだ。
もうすでに一人で息をひきとっていた。

私はあまりの驚きに「え?!休憩って交代で看てなかったん?!」ととっさに聞いてしまったが、自責に苛まれている人をさらに追い込んでも仕方がないと思い、感情をむりやりに抑え込み「そうか、仕方ないね、だれも悪くないよ、お父さん一人で静かに逝きたかったのかも」などと、役立たず二人組を慰めるセリフを適当に口走った。
しかし実際母と姉の口からは自責も、悔いも、後悔も何も発せられず、「そうやねん、それまで病室におったんやけど、ちょっと休憩してる間に・・」と言い訳しながら泣いていた。

誰も悪くない。何も悪くない。責めてはいけない。そう思って心の奥にしまってあった記憶。
それが先日たまたま古い親友との話の流れで、父の死の瞬間の出来事を軽く話した。
するとその親友は「えっ酷い・・・」といってボロボロと泣き出してしまった。かなりショッキングだったみたいで申し訳なかった。
やっぱりそうだよね。私もショックだったけどそう思わないよう封印してた。

『誰も悪くない』って本当は私も思ってない。
じゃあ何が、誰が悪かった?
睡眠薬のまなきゃいけなかった?
尻もちは防げなかった?
父はなぜ母を起こさなかった?
なんで母と姉二人揃って病室空けたの?
バカなの?キチガイなの?人でなし!許さない!!

グルグル考えるがわからない。全然わからない。何もわからない。
だって、チビ子の家族おかしいもの。私も普通じゃない。
それでもわたしに何かできることがあったのかな。
封印するほど傷ついている本当の理由はなに?

後悔

はっきりと私が後悔できる事は、仕事や夫の事ばかり気にして父を後回しにしてしまった事、医者から余命1,2日と伝えられた時、仕事や夫なんて気にせずにすぐに父のもとに向かえばよかったという事。
少なくとも最期の瞬間の父を女3人で看取ることはできたはず。

会社に迷惑をかけたと絶対に思われたくないという保身の気持ちや恐怖、夫に嫌われる恐怖や肩身の狭さがあった。
わたしの弱さがなければ父の旅立ちの瞬間、たとえ父にとって関心のない娘であっても、寄り添うことはできただろう。なにより私がそうしたかった。そうすればよかった。
そう考えると他の家族は関係なく、私個人の純粋な後悔と悲しみが沸き上がる。
たぶんこれが私にとっては封印しなくてもいい、必要で大切な記憶や感情の気がする。

自分の後悔をすべて母と姉の失態のせいにし、それを無理やり許そうとして許せない、だけどもともと自分の後悔も引きずっているのでそれが自分に刺さってくる、それがこれまで蓋をしていた理由なのかもしれない。
そして母と姉に対しては、やはり一生分かり合う事はないし一生関わりを持ちたくない。それだけ。


ここまで一人で考え、この件に関する考察は終わるつもりでしたが、本日カウンセリングにて内容報告すると、先生が少し気になることがあるようで、もう少し掘り下げて考えましょうと言われました(先生からの提案はとても珍しいです)。
また何かあったら報告します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました