毒母は贈り物を喜ばない

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互いの誕生日を祝いあう兄弟が世の中には多いことを、大人になってから知った。
チビ家ではお互いの誕生日すらハッキリと知らない。
50年間、兄姉に祝ってもらった記憶はないし、祝った記憶もない。

ついでにいうと、基本的に父の日もなにもしない。
父の誕生日はなぜか私はよく覚えていて、大人になってからは何かお祝いをすることもあった。
ただ、母だけは例外。連絡を絶つまで必ず毎年、母の日と誕生日、忘れずに何かを贈っている。
それは幼い頃のトラウマが関係している。

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羨ましい母の日

幼稚園では母の日のお母さんへのプレゼントを作るというイベントがあった。
お母さんの絵を描いたり、ブローチを作ったりしてリボンをつけてもらい、自宅に持ち帰りそれぞれのお母さんに渡すのだ。
うちは「はいはい、ありがと」といって受け取りはするけれど、園児の手作り貰ってもww、という苦笑いで、プレゼントは私の目に触れないどこかに消えた。
ただ、友達の家にはその絵が壁に貼って飾ってあったり、町内会のイベントで友達のお母さんがそのブローチをつけているのを見たりして羨ましかったり、少し傷ついた。

自責の母の日

小学生4年生頃の母の日、母が大きな声で嫌味を言った。
「あ~あ。母の日やのに、うちはだあ~~れも、なんにもしてくれへんなあ! カーネーションの1本でも欲しいわ。〇〇さんとこは子供たちに〇〇貰ったらしいで~羨ましいわ。」
私はわりと衝撃だったのをうっすらと覚えている。

母親や父親へ贈り物をするイベントがあるのは幼稚園だけ、まさかプライベートで子供が自発的にお小遣いを使って親に何かを贈るのが普通とは夢にも思わなかったから。
自分がその当たり前のことを知らなかったことに恥ずかしさとショックを覚え、自分を責めた。
その後の母の日には毎年、高騰するカーネーションでなくてもいいので、1本でもお花を買って贈る事にした。なけなしのお小遣いで。

母の誕生日

通っていた高校はアルバイトが禁止、親からの月々5千円のお小遣いはライブに2回も行くと服も買えない、というなかなか厳しい経済状況をなんとかやりくりしていたころも、母の日と母の誕生日にも確実に何かプレゼントを用意していた。

高校のころから私は、一般的な女子高生らしいファッションではなく、パンクとかエスニックなどのいわゆるバンド系ファッション=母親曰く「けったいな恰好」を好んで着ていた。
高校1年か2年の母の誕生日、そういう少し変わったお店ばかりが集まっているエリアに友達と遊びに出かけていた。

友達と遊びながらも、私の神経は「帰るまでに必ず母へのプレゼントを探さなければ」と焦っていた。
母の好みはおばさんそのもので、子供の私にはいつも何を渡せば喜ぶのかわからず、プレゼント選びは悩みの種。相談するほど兄弟が仲良くもなく。
でもそんな中でも、娘としては若い母でいてほしいという気持ちもあり、自分の目線ではあるが、おばさんの母にも違和感なく着けられ、母を素敵にし、自分の経済力でも買えるものを探した。

財布と相談しながら私はなんとか母にも似合いそうな、シンプルなインドネシアのハンドメイドのネックレスをアジア雑貨のお店で購入した。
いつもは「けったい」と片付けられている自分の好きな世界を、少しでも母親と共有できたら嬉しいな、という期待もあった。
1500円くらいだった。5000円のお小遣いではかなりの出費だけど、いいものが買えたからよし。

家に帰ってとりあえず母に包みを渡すと「ありがと~」とまんざらでもない様子、洗面所で手を洗っていると、包装をあけた母がネックレスを手にやってきて言った。
母「なにこれ?(怒)」
私「エ…?なにって?」
母「こんなもんお母さんが着けられるわけないやん…呆」
私「え???なんで???」
母「こんなオモチャみたいなもん、お母さんが着けられると思うか?こんなんいらんわ。どうせアンタは私がいらん言うやろ思て、自分で使おう思て買うてきたんやろ! ホレ!」
そういってネックレスを返してきた。

いや、5000円のお小遣いで何を期待しているの?大人のまともなモノなんて買えるわけがない。
だから母が自分では買わないような若者ぽい小物、安いなりに似合うもの探したつもりなんだけど。。
もちろん私は否定し、母に似合うと思っていること、安いものしか買えないこと、自分の好みではあるが私は絶対に着けないジャンルであること、なので自分が使うつもりは絶対にない、お母さんに着けてほしい、などを何度も説明した。
私の言葉を聞いている時の母の目は嫌悪に満ちていて、結局ネックレスはつき返された。

私は泣いてしまい、悲しさと悔しさで頭に血がのぼり、「もうわかった!!!」と外に飛び出した。
家出して心配させ、反省させてやりたかった。
しばらく気が動転したまま駅に向かったり、グルグルと歩いたりして少し頭を冷やした頃に思いついた。

家出では足りない。負けな気がする。それよりも母を反省させること、申し訳ないと思わせることそれは、「プレゼントを買いなおして渡す」だった。
近所の酒屋で適当に安物赤ワインを買い、家に戻った。
「どこいっとったん…」と困った顔で玄関に出てきた母親に「もうお金ないし夜やからこれしか買えなかった。はいどうぞ。これでええんやろ!」とワインを荒っぽく渡して部屋に入った。
後ろで「もうええのに….」と声が聞こえた。

困れ。申し訳ないと思え。反省しろ。傷つけ。悲しめ。
母もさすがに再プレゼントは予想外だろ!やった。勝った!!
と考えながら涙が止まらなかった。
母は弁解をしに部屋に入って来て自分の正当性を訴えたけれど、聞く耳は持たなかった。

でもブランド品は喜ぶ

本当にしょーもない話だけど、思い返せば母もブランド品だけは喜ぶのだ。下品。。

姉のドラミは昔からブランド品が大好きだ。自分で稼いだお金でファッションにたくさんのお金を使う。
そんなドラミがアメリカに渡ってからも母は「浪費ばっかりせんと、老後のお金ためときや!」とたしなめる。「老後の貯金しとき」は口癖。

なのにドラミが一時帰国した時にお土産がわりにと、自分が使わない(つまりお古・笑)のグッチやフェンディをあげると大喜びで受け取り、喜んで使う。私に自慢する。
姉が使っていると不機嫌な顔で小言を言うくせに自分がもらうのはいいのか。。

あるとき私が猿蔵の長期出張で3か月ほど海外に出た時、私の夫たちをいつも見下す母親に、立派な旦那アピールをしたくてお土産のリクエストを聞いた。
私が親なら「私たちにはお土産なんていらない」「無事に帰ってきてくれたらいい」と思うし、そう言うと思うんだけど、母は数日間じっくりと考えてから「コーチの財布」と答えた(笑)。

まだギリギリの生活で、自分たちの服にもロクにお金を使えていないのは知ってるはずなのに、そんな事言われた。今思えばビックリだ。
その時は「よっしゃ!」と親孝行のつもりで引き受けたけど、私たちが持ったこともない高価なコーチの長財布をあさましい母のために買っている私をみて猿蔵はどう思っただろうか。

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そもそも

大人になってからも子供のころの2つの事件はトラウマで、よく思い出して考えていた。
なぜこんな事件が起きたのか。
それは母が自分で招いたことだった。

もともと、子供たちや父親へのプレゼントや誕生日のサプライズをする母親を見たことがないのに、どうやって子供がそれを身につけるのか?
「何もしてくれない!」と騒ぐのは自分の時だけ、父親は放置、子供も中学にもなると誕生日は忘れられ、ケーキも赤飯もない。プレゼントはこちらからお金を請求(しかも前借り)するだけ。
そんな家庭で、子供たちが協力してお金を出し合って、カーネーションの花束や、母親の喜ぶ立派なプレゼントを準備するわけがないと私は思う。

この手抜きな母親の業は母親自身に戻るだけではなく、私の性格にもずっと影響している。
私はプレゼントを贈るのも貰うのもすごく下手だ。
友達仲間のプレゼントの輪を私は断っている。何を返したらいいのかわからないので、貰うことがプレッシャーなのだ。個性を尊重してくれる友達でよかった。
しかし、家族には謎の期待をしてしまう。そして失望する。何が欲しいか自分でもわからないのに。母の嫌いなところを受け継いでしまった。

私が母を一番恨んでいるのは、こういう母のネガティブな面をところどころ真似てしまっていること。
子供は親を見本にして育つから仕方がないと思うけど、そこが許せない。
私も母親と同じことしていないかと、日々怯えながら生きている。

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