家族からの逃避を夢見て

機能不全家族
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家を出たい

チビ子の人物説明を書いていて驚いたんだけど、私の二度の結婚パターンが見事に同じだった。

1度目は短大卒業後1年足らずで同棲~結婚、13年後に相手の意向で離婚。
2度目は正式離婚後1年足らずで同棲~結婚、9年後に相手の意向で離婚。。

すぐに同棲に走り、10年ほどで相手は去っていく。
なぜ離婚されてしまうのか?はさておき、なぜすぐに同棲に走ってしまうのか?は最近になって気づいた。
実家から逃げたかったからだ。

お互い結婚する意志を確認済みなのに、その時を待たずにあわてて逃げるように実家から出たのはまさに、文字通り実家から逃げたかったのだ。
最近わかったなんて、なんで今まで気づかなかったんだろね。

実家を早く出たいという自覚はあったけど、もちろん相手のことを好きだという気持ちもあったためにその愛情を同棲の理由に自分で選んでいたんだね。そっちのほうが理由として綺麗だしね。
だけどそれならもっとゆっくり準備したり、愛を育んだり、二人のことを落ち着いて考えたりするはずだったんだけど、変な物件を慌てて契約してしまったり、自分の荷物を何も持ちこまず不便なまま居候したり、どちらの同棲もスタートはかなり強引で、満足のいく環境は全く整っていなかった。

今思えば、私の意識はどちらかというと二人の未来より、実家からどうやって抜け出すかを優先させていたんだね。
「あの地獄のような家から私を救ってくれる王子様」と恋愛感情がごっちゃになって、自分でもわからなくなってた。
二人には申し訳ないことだったと思っている。

実家に帰りたくない

家を出た後住んでいたところは2度とも隣町だ。
電車で1時間くらいのところで、実家にはすぐに帰れる。
が、自分から帰ろっかな?と思ったことは全くなかった。
そりゃあれほど逃げたくて出た家なんだし、あたり前なんだが。

かといってひたすら帰らなかったら父親が「たまには顔見に帰って来い(見せに来いではないのがミソ)」と頻繁にガミガミ言ってくるので、仕方なく3か月に1回とかスパンを決めて(そうやって決めてないとほんと帰れない)、ルーティーンとしてしぶしぶ帰るんだけど、毎度グッタリ疲れ切ってしまう。
帰りの電車は鬱で泣けてくるほどだ。
なんなら実家のある大好きだった町まで鬱陶しく感じる。なんだこの町って。

その時点でその状況おかしいって気が付きそうなんだけど、全くそうはいかないから不思議。
それが普通なのかと思っていた。みーんなそんなもんだと思ってた。
仲良し家族なんて特別、落ち着く実家なんてどこか別世界の話だ。。
だから自分とよく似ていると思っていた親友が「実家でゆっくりした~」なんて言った時にはショックだった。あれ?実家が疲れるのって私だけ?うちの実家だけ?と。
仲間だと思っていた人に共感を得られないことに孤独を感じたりした。

それでもまだ自覚せずに「うちはあんまりベタベタした家族じゃないしな~」とか「うちはみんな声がでかいから疲れるな~」くらいに思っていたのだった。

遠くにいきたい

父親の「帰ってこい」攻撃ともうひとつあったのが、母親の「将来は面倒みてや」圧力だ。
これは子供のころからずっと言われているのだ。
母親は出来の悪い(←母の言葉)ほかの二人の姉弟ではなく、私一人に面倒を見させる前提で話をすることがよくあった。
「上の二人はもうあきらめてんねん。アンタだけはしっかり頼むで」と。
私を縛る重圧。母親の身勝手さと自己愛。残酷だね。解放されたかっただろうな、私。

それともうひとつ、恐ろしかったのが姉のドラミ。
もしもアメリカの生活が破綻し、日本に戻ってきたら、、。
ドラミの性格から予想するに、確実に実家に頼り、私の幸せな暮らしを潰しにくる(以前本人からそういう脅しがあった)、そしていつか父母が死んだ時は確実にタカられる(2度目の夫はエリートだった)、私たちの家に居座られる(昔それに似た事件があった)。怖すぎる妄想が果てしなく続く、、。

それらを回避できる方法があるとすればそれは、物理的に遠くへ行ってしまうことだった。
とにかくできるだけ遠くで暮らしたかった。
ちなみに2度目の夫猿蔵は、キャリアアップのために勤務地を転々とするタイプの職業だったので、東北とか沖縄への挑戦の話が出るたびにそれにすがるような気持ちで、いつか海外に拠点をおいて日本に帰れなくなってしまいたいと願っていた。

ただそういう猿蔵の職業事情を母に話すとあり得ない言葉が返ってくる。
「あんまり遠くへ行かんとってや」と。
笑顔ながらも強めな口調で禁止される。
えーっと、、、ハイ??
彼の人生をかけた仕事や未来より、オマエみたいな家で韓国ドラマ見てるだけのババアのワガママを優先しろということですかハイそうですかもうこんな親イヤ。

それからこれ、笑顔というのがミソで、本人は厳しい事を言っているつもりがない。あたりまえの事、当然の事に釘をさしているだけなのだ。恐怖!

「あんまり遠くへ行かんとってや」ーまだ耳に残る母の呪いの言葉、離婚した今でも到底許すことができない。
私だけではなく、私の大切な人をバカにしたり傷つけたりするのは許さない。許せない。もう絶対に二度と許さない。

結局私と結婚している間に猿蔵に異動のチャンスはなかったけど、果てしなく遠くで暮らし、実家と疎遠になることが私にとってのひそかな、そして最大の夢だったような気がする。

アメリカにはいけない

いつか海外にとさっき書いたが、猿蔵の職業は大抵全員一度は海外に出るのがあたり前で、なおかつ業界の最先端はアメリカだった。
天下をとるにはやはりアメリカ、的な。

しかし私は恐ろしかった。アメリカには毒姉ドラミがいるからね。

さっき書いた「もしドラミが日本に戻ってきたら」の逆で、私たちがアメリカにいっても同じこと。
間違いなく擦り寄ってきて、私の幸せを奪いにくる。
そして猿蔵の大事な人生も壊されてしまう・・・想像するだけで恐怖だった。

しかし私は「アメリカだとしたらドラミのいる東海岸ではなく西海岸がいいな、、」などと考えながらも、これは少し考えすぎでは?病的に怖がりすぎかも?と自分の妄想に疑問をもったりもしていた。

だがしかし。それがそうでもなかった。

離婚の際「ドラミのことが心配だったけど、これで心置きなくアメリカに行けるね」と冗談ぽく猿蔵に言ったことがある。
笑うかと思ったら、なんと彼は真剣にうなずいていた。

「アメリカには行きたいけど、お姉様(うちのバカ家族にまで様付け)につきまとわれそうだから避けたほうがいいかなと僕も思ってたんだよね・・」と言ったのだ。驚き。
彼も同じことを心配していたらしいのだ。

陰謀や人種差別が渦巻く恐ろしい世界で戦っていた彼が、ただのオバハンである我が姉を、自分の希望進路をあきらめるほどに警戒していた。え!そんなに?ほんま、ごめん。
私の思い違いではない、他人から見ても姉はやはり異常者だ。とんでもない怪物だったんだ。

みんなおんなじでしょ?あれ?じゃあ私がおかしいのかな?と自分を延々言いくるめていた家族の異常性に気がつくスーパーチャンス!
しかし気づくことさえ恐怖でずっと避けてきた事実を結局この時も私は受け止めることができず、このことは「私と同じこと考えてる猿蔵もおかしい人」ということにして、また「うちの家族はおかしくない」と段ボール箱の蓋を閉じて押し入れの奥に仕舞い込んでしまった。

そうして、気づかないふりをしながらも私はずっとその箱の存在に怯え、いつか家族から逃げきることを夢に見て生きてきてしまった。なんてみじめな夢。みじめなくせに知らない間に巨大になりすぎて他の夢、入りきらなかったのかも。
あーもっと早く気づきたかったなー。
これから自分の人生を少しだけでも取り戻したいな。

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