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プロローグは3話完結の連載になっており、自分と家族の問題に気づき始めるまでの経緯を時系列で書いています。
こちらの1話から順番にご覧ください。
自分の抱える問題にようやく気づいたのは、うっすらと死を覚悟した時でした。
「もしもこのまま死んだら、やっと母と姉から逃げられる」
死の恐怖を凌駕する安堵と、これまでずっと封じ込めていた自分の本心に衝撃を受けました。
これが、私を長年苦しめてきた「生きづらさ」や「心の不健康さ」の要因だと気付くきっかけとなったのです。
少し長いお話になります。
コロナ罹患
2021年、私はコロナに罹患した。
一人きりでの自宅療養。
はじめは元気に食事も摂れていたが、あっさりと肺炎になり1週間以上続く高熱でしだいに食欲もなくなり、衰弱していき、最後には「このまま一人で死ぬのかも」と考えるまでに至った。
母親
母親には発熱した段階で「コロナかも」とすぐに電話連絡をした。
心配かけまいと元気にふるまってはいたが、それを真に受けたのか母は能天気な様子。
心配されたくなかったのでそれでいいのだけど、わだかまりは感じる。
母親との会話は普段から苦痛だ。
攻撃的で刺さるような声色、大きな声で叫ぶような話し方、耳や心が疲れてしまう。
話の内容も、基本自分のことか誰かの悪口ばかり。
時折私のことを話しても、つまらなそうにテレビをみたり、ひどい時は話してる最中に突然カットインして話題を変えてしまう。
物忘れが激しいのにメモも取らず覚える気もない。あまり理解もしようとしない。
最近は「高齢なんやから仕方ないやろ!」と開き直るが歳は関係ない、思い出せばずっと昔からだし。
体調を理由に今後の連絡はメールだけにしてとお願いする。
正直メールも見ただけで苦しさを覚える状態だったけど、電話よりは随分ましなので。
検査に行く前から陽性になることを想定し、ネットスーパーの登録や食料やサプリの注文、近所の友達や同僚へ支援のお願いなど、もろもろの手配を一通り済ませた。
「だから一切心配しなくて大丈夫」と母に連絡する。
早い段階で療養の準備を整えたのは、母親のみならず、だれかに頼るのが苦手な私の性格。
発熱~陽性発覚~翌日まで3日間はとにかく、各方面への連絡と仕事の対応で、高熱でも横になる暇もなくとても忙しかった。
そんな中、母からの「検査結果すぐ報告してね」という何気ないメールにも、命令されているような威圧感と「母親だから一番に報告を受けて当然」という圧力を感じてイライラする。
毎日着信する、これは心配してる母親の言葉なのか?というメール、能天気な質問と命令口調と圧力にうんざりする。
姉
検査で陽性が確定した夜、姉から電話が入る。
姉はNY在住で、私の半年ほど前にコロナ罹患しているが鼻風邪程度の超軽症だった。
9歳上の姉との関係は昔から母より悪い。
「歳が離れているから可愛がられたでしょ?」と言われたりするが、子供のころからずっとそりが合わず、揉めてばかりいる。
それなのになぜか寄ってきては私の嫌がることを喜々として実行、攻撃してくる人だ。
メンタルが弱っている時にはそれが耐えられず、2度の離婚後に数か月間携帯の着信拒否設定を実行している。
普段は着信拒否設定はしていなくても電話を着信するだけで嫌な予感しかしないので、基本あまり応答せず後でメールで折り返すようにしている。
今回はさすがに心配しているかもしれないと電話に出た。
まず「大丈夫?」と私の病状を聞かれるだろうと構えていたが驚くことに、何か感染するようなへまをしたのではないか?と大声でわーわー問い詰められる。とてもうるさい。姉らしい。
「そうやんなあ!お姉ちゃんも何もしてないねん、感染対策めっちゃしてたのに!」
と、その後は自分のコロナ経験談、自分の感染対策の完璧さを語り始めた姉。
私が少しうんざりして「でもFacebookでランチとかホームパーティのノーマスク写真見たよ?」とチクリと言うと、怒り出した。
ダメだとわかってはいるが突っ込まずにいられない。私と一緒にしないでほしいもの。
その後はアメリカのコロナ政策と比較し、日本批判が始まる。
姉は『仕事で』とかではなく、ニューヨーカーになりたいというチャラい理由だけで突然手ぶらで渡米したミーハーなアメリカ信者だ。
姉は情弱で政治もわからないし、流行に流されやすく、怪しいスピ系ビジネスにはまったり、典型的な詐欺にあったりと騙されやすい人だ。
近年急に、政治的ムーブメントに姉が嬉々として乗っかる姿をSNSで見るようになった。
延々と続く稚拙な政治論理をこちらの切羽詰まった状況などお構いなしに聞かされ、ひとことこちらの意見を述べたら最後、大発狂が止まらなくなった。
しんどいので電話を切りたいと訴えると今度は「これだけは」としつこいく食いさがってわめきだす。
なにかと思えば「水分をとれ」との命令。長々と命令。高圧的に命令。あんたのために言うたってるねん。
(バカにするな!命令するな!知ってる!知ってる!知ってる!うるさい!!!!)
と私の感情は限界に達し、一方的に電話を切った。
その後メールで「バチが当たる」とか「謙虚になれ」とか「政治の話はチビ子のために言った」とか「わからないあんたがおかしい」とか「自分は病気のくせに言い返すな」とか「自己反省しろ」とか「ヘンコ性格どうにかしろ(ベロ出し)」など、やっかいな病気を患った人間に対して還暦前の家族が投げかける言葉とは思えない暴言の嵐が届き、私はパニックになる前にと、3度目の着信拒否をした。
悪化
もともと喘息持ちのため咳の発作が激しく、高熱が続き、食事が摂りづらくなってきたが、わが町では医療崩壊の真っ最中で、救急車を呼んでも意識があるうちは乗れませんとはっきり言われた。
万が一を考えはじめ、何かあった場合の連絡先である母に、可能なうちに伝えておくべきことを、とぎれとぎれにいくつか連続メールをする。
現在の状況、もし万一入院になったら連絡が取れないし病院に様子も聞けない旨(その時はほんとにそうでした)、そんな病気にかかってしまったお詫び、保険やお金の事、療養中に連絡を無視したり冷たくしたことのお詫び、療養中にお世話になった友人の名前、病院から何らかの連絡があった場合知らせてほしい連絡先、続く高熱とひどい咳と情緒不安定で電話とメールが苦痛、連絡しないでほしい旨とお詫び。
送った直後に母から電話の着信が入る。なんで?こんな時もお願い聞いてくれないの?
なにか急ぎの用なのかもしれないと咳で苦しみながらに電話に出ると、大声で発狂気味にいろいろと聞いてくるが、さっきメールに書いた内容ばかり。
「さっきのメール、、、たのむから読んで、、、」
「そやかてわかれへんやん!そんなん読まれへんし読んでも覚えられへん!高齢やねん仕方ないやろ!どうなってんの!」とガミガミがしばらく続き、
「お母さんおねがいやから、もうやめて、、」と泣いて切った。
以降実家への連絡窓口を兄ひとりにし、母からの電話には応答せず、すり寄ったり泣き言を言ったり逆切れしたりと気分の悪いメールが母からいくつも届いたが「兄に報告してるのできいて」とだけ返信する。
衝撃
高熱は下がらず、次第に呼吸も苦しくなり、食事は摂れなくなり、口に入るのはポカリのジェルのみになった。
保健所の担当者も電話の向こうで、何もできず申し訳ない、何とか頑張ってくださいというばかり、水も飲めなくなりそうになり、これはまずい状況かもと考え始める。
メンタルが最悪になり、自暴自棄になり、「もう死ぬかも。もう死んでもいいか」と思い始めた時、これまで思いもよらなかったハッピーな考えが浮かんでいることに気づいた。
「死んだら母親と姉から逃げられる」
メンタル極限の状態だったのが一転、思わず喜んでいた。
死にたいということではなかったが、死んだら最高の特典が待っている、という感じ。
しばらくほっとして不思議な安心が続いたあと、ようやく衝撃の事態に気づいた。
「私は大変な問題を抱えている!」と。
自分の親は「毒親」なのか?姉との仲は異常なのか?私は死にたいほど家族に恐怖を感じていたのか?
これはえらい事だと、なぜ今まで気づかなかったのかと(今思えばその考えを必死で避けていただけなんだけども)。
そして、もし死なずに生き延びたなら、すぐにこの問題と向き合わなければならない、すぐに行動しようと心に決めた。
その後、電話診療可能な病院が見つかったと保健所担当者から連絡があり、肺炎の治療を受けることができ、1か月のち、幸運にもコロナ感染症より回復した。
そしてその1か月の療養中に、ひたすらネットを調べ、Amazonで書籍を取り寄せ、自分の境遇や家族と心に関する客観的な事実を、衝撃とともに知ることになった。
ここから、今の私が始まります。
つたない文章を最後までお読みくださりありがとうございました!
連載は「扉をあける」へと続きます。



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